32年間の健康記 その3 大学時代
・大学時代
初の一人暮らしで大学1~2年でいろいろ破滅しかけ、激太りもしたが、大学3年でいろいろとリカバリーをし、無事に4年で卒業できたのはいい思い出かな・・・。
大学1~2年時:
遅刻魔というよりはサボり魔だった。
自宅は大学のすぐそばであり、ドアを開けると大学が目の前にあるほど近かった。
にも関わらず、大学2年あたりから授業に出席する回数がまばらになり、友達に出席票を記入してもらうくらいのクズっぷりを発揮していた時期もあった。その時は大抵、夜遅くまでゲームをしており、朝起きれず午前の授業はサボるというパターンだった。
大学時代は1年から2年の前半までスキー部に所属していたが、道具をそろえたり、合宿や遠征があったり色々とお金がかかりすぎ金欠になり、家賃も4カ月くらい滞納するという底辺っぷりを発揮してしまい身の危険を感じたので、途中で退部をした。
この時期は本当に金欠でバイトの給料日の1週前くらいにお金が無くなり、白米と調味料で食事をしていた時期があった。おかずがないので、白米を1日3~4合ほど食べていた。白米と調味料しか食べていないのになぜ10㎏も太るんだと当時は疑問を持っていたが、今思えば原因は明らかで糖質しかとってないからである。
当時は確かマクドナルドのハンバーガーが激安の時期であり、普通に自炊するよりハンバーガー買ったほうが安いし手間がかからないので、ハンバーガーをおかずにご飯を食べるという奇行をしていたこともあった。今は絶対にしないけどw
大学3~4年:
旅をする快感に目覚めたのは大学3年の夏からであった。最初は痩せるために9000円の中国製の自転車で海までキツイ思いをしながら走ったりしたが、いつの間にか自転車で色々なところに旅をするのが面白くなりハマってしまった。気づいたら3カ月程度の短期間で自転車3台(全部9000円の中国製)を乗りつぶし、体重も元にもどったどころかそれ以上減っていた。よく考えてみると、現在、休日に外出する習慣があるキッカケになった時期かもしれない。
食生活は自炊の割合は多少は増えたが、そこまで改善できていたわけではなかったので、食生活の改善で痩せたというよりかは若さと活動度のごり押しで痩せ、体型を維持していたというのが正しいかもしれない。あとは無事に家賃の滞納もなくすことができた(当時の大家さんの人情に感謝したい)。
インドアな自分がアクティブになったきっかけになった大学時代はこれで終わりです。次は社会人時代ですね。
つづく
GWの旅行最終日 群馬
最終日、群馬の富岡製糸場に行ってきました。
やはりこの日も人は多かった。そりゃ世界遺産だから当然か。
見た目は工場っぽくない感じですね。壁は赤レンガで屋根は瓦という、フランスと日本の建築技術の融合がなんともおしゃれな感じがする。どうやら東京駅の建築方式と同じらしい。もし今後、小屋を作る機会があれば、赤レンガで作ってみたいものだ。
工場の中にある機械の写真。
この機械を使って、繭から糸を釣り上げている。繭から糸を釣り上げる動画をみたが、糸をどんどん釣り上げていき繭の中身が見えた時は少しグロかったっす。
しかし、これらの建築物が改修工事で復元されてるわけでなく当時のままの状態であるのは貴重な気がした。偽物でない本物の空間なのでワクワクしてしまうし、当時の人はこのような空間で仕事をして、居住をしていたんだと容易に想像できてしまう。
その後、富岡製糸場を後にし、自宅に直行しGWの旅を終えました。
おしまい
GWの旅行2日目 栃木
朝の目覚めは思ったよりもかなり良く、車中泊に目覚めそうな目覚めだった。
路上生活のスキルが上がった気がしました。
栃木に行く前に、朝一番で偕楽園に行ってきましたが、雨と風が強く、入って10分くらいで断念し、車に戻りました。初日にしても2日目にしても天候に恵まれない・・・。
時間に余裕があったので、下道でプラプラと栃木の宇都宮にある大谷資料館に向かいました。開館時間よりちょい前に到着して、入館料700円を払い入館しました。
栃木では餃子を食べる事しか頭になく、この大谷資料館への旅はオマケ程度でしかなかったのですが・・・ところがどっこい、この空間は素晴らしかった!先に言うと今回の旅行で行った場所の中では断トツで素晴らしかった!本当に素晴らしかった!重要な事なので3回も「素晴らしかった」と言ってしまった。
この地下空間の雰囲気に勃起しました興奮しました!
大谷石とライトの組み合わせ、大谷石の穴から注がれる光がドラクエのダンジョンを彷彿させるような感じで、頭の中にドラクエ5の洞窟のBGMが流れるくらいでした。
実際に地下空間で流れていたBGM(曲名分かりませんw)も空間の雰囲気とあっていた。中は涼しく、そしてカラッとしていたので、心地よかったし、偕楽園で雨にやられたダウンもそこそこ乾燥してきた。
素晴らしいのもその筈、この地下空間は様々な映画(仮面ライダーゴースト、るろうに剣心)やイメージビデオの撮影場所として使用されているとのことでした。
地上に戻ってきたら、隣に併設されているカフェで黒ゴマのジェラートを食べて、この場所を去った。
お次は宇都宮美術館に行き、森林を楽しみつつ、展示物を拝見した。
展示物の写真は撮れなかった。僕も死ぬまでに何か形になるものを残していきたいなという気持ちが少しだけ沸いた場所でした。
夕食に宇都宮餃子館で餃子を食べた。どこの餃子店も激混みしており、入るのに時間がかかってしまった。時期が悪かったかな?さすがは餃子店、色々な餃子の種類・具材があっ面白かったが、今回は普通の焼き餃子を食べました。美味しかったですよ!
最後にバーでピザとワインを飲んだ。
カウンターでワインを飲んでいると、隣の熟女に「タバコを吸っていいですか?」と聞かれたので、僕は「いいですよ」と答えた。それをきっかけに色々と会話をした。他愛もない会話ではあるが、それがバーの良さといったところか。僕は基本的におしゃべりでは無いが、バーにいくと話が何故か弾む。それを再認識した空間だった。
色々と予想に反して、いい2日目でした。
おしまい
GWの旅行1日目 茨城
5月3日〜5日に旅行に行ってきました。
初日は茨城の国営ひたち海浜公園でネモフィラを見てきました。見頃がちょうどゴールデンウィークぐらいとのことなので思いきって見に行きました!
神奈川を朝6時に出ましたが公園に到着したのは14時頃でした。予想していた通り渋滞が激しく、SAやPAも激混み状態で入る事すら出来ないので、トイレが近い人は要注意ですね。ちなみに僕はトイレに行くためだけに高速道路のICを3回ほど下りましたw
何とか到着しました。ここの公園では色々な楽しみ方があると思います。遊園地的なアトラクションで遊ぶもよし、公園で運動したりするもよし、屋台のそばでビールを飲むもよし。ただ今回は時間も無かったし、そもそも1人旅でしたので、目的地のネモフィラ畑までひたすら歩いて行きました。ネモフィラ畑に到着しました。天気が悪かったのは惜しまれますが、目に優しく、心が洗われる風景な気がしました。
次回行く機会があれば天気の良い日に行くか、人のいない時間帯(開園一番)に行ってみたいと思う。
この後、温泉でゆっくりした。夕食は那珂湊お魚市場で生牡蠣を食べた。生牡蠣はデカく、このサイズで2個1000円だった(食べ終わって30分後くらいに1個400円になってたw)。色々と迫力があり、目を奪われた場面があった。
夕食後少し移動して、道の駅で車中泊をして1日を終えた。愛用のマットレスを車の後部座席に敷いて、寝袋を布団代わりにして寝ました。
おしまい
32年間の健康記 その3 高校時代
・高校時代
高校時代はまあ、よい所と悪い所がはっきり分かれた時代かな。
朝:
遅刻魔だった。
高校から自宅まで2〜3km程で、自転車通学だったが、それでも遅刻した。朝起きるもの苦手だったが、トイレが近く、中途半端なタイミングでトイレに行き、遅刻というパターンが多かった。
中学校時代の野球部で運動は懲りたので、部活は帰宅部にした。朝練ダルいし、帰ってさっさとゲームしたいし。
昼:
中学校時代同様、学校では友達や話し相手には恵まれてた時期であった。
休日は1日中家でゲームをしていたり、漫画を読んだり、勉強したりしていた。
昼ごはんは弁当持参だった。そんなに多くは食べてない。
小学校時代、中学校時代と比べてたら昼は健康的な感じがする。
夜:
ごはんはよくおかわりしていた。これでもかってくらい食べてた。
夜更かしばかりしていた。平均3〜4時間睡眠。勉強するかマンガ読むかのいずれかだった気がする。
体型:
小中学校時代とあまり変わらず。デブまではいかないが、一歩手前くらいまではいってたと思う。
でも超不定期でジョギング(苦痛)をしていたので、夏場はそれなりに痩せていたかもしてない。
食生活:
中学校時代と同様にたくさん食べており、かつ学校の帰りに清涼飲料水をよく飲んでいた。間食は少なかった気がする。
当時はコーラを買うとFFのミニフィギュアがついてきたので、それ目当てでコーラばっか飲んでた記憶があるw
中学校時代と比べ、体重には気を配る他にジョギングを取り入れ始めた。このままではいけないという危機感を持っていたが、ジョギングの苦しさに苦痛を感じていた。
高校時代はこれで終わりです。次は大学時代ですね。
つづく
32年間の健康記 その2 中学校時代
・中学校時代
中学校時代も不健康かw
ダメ人間っぷりを発揮していたが、まあまあ楽しんでいた時代でもある。喜怒哀楽も良い意味で激しかった。
朝:
遅刻が多く、部活(野球部)の朝練をサボることもしばしば。
朝は眠いし、練習がダルいしという気分だった。朝練でる奴はマゾなのかと思ってしまうくらいだった。
中学になると朝食はごはん派にシフトしていた。
昼:
学校では友達や話し相手には恵まれてた時期であったので、誰かと何かしらの会話をしていた。孤独耐性がある僕ですが、この時期の友人とはいまだに飲みに行ったりしています。
休日は1日中家でゲームをしていたが、外で遊んだり、友人宅へ泊まることもしばしば。
給食はよくおかわりしていた。
まあ、小学校時代と比べてたら昼は健康的な感じがする。
夜:
ごはんはよくおかわりしていた。これでもかってくらい食べてた。
睡眠時間は少ない時もあった。
当時はポケモン赤緑が流行っており、夜中までやってた。中3の時は夜中まで勉強していた時期があった(すごい没頭していた)。
体型:
小学校時代とあまり変わらず。デブまではいかないが、一歩手前くらいまではいってたと思う。
同じくらい食べてる同級生と比べて、なぜ俺はこんな体型なんだと悩んでいたが、それは動かなさすぎだからだよ俺。
食生活:
たくさん食べており、かつ学校の帰りに清涼飲料水やアイスをよく食べたり飲んだりしていた。
清涼飲料水は当時は三ツ矢サイダーや桃の天然水が好きで、ガブ飲みぢていた。夏場だと10秒もしないうちに500mlのペットボトルを空にしていた。
おやつはアイスやピーナッツチョコレートをよく食べていた。ピーナッツチョコレートをよく食べていたせいか、ニキビが多かった。
中学校時代の時は体重だけには気を配るようになっていた。このままではいけないという危機感を持っていた。
中学校時代はこれで終わりです。次は高校時代ですね。
つづく
32年間の健康記 その1 小学校時代
現在、健康には人以上に気をつかっており、順調に健康習慣を積み重ねている。しかし昔から健康的な習慣を積み重ねて来れたかというと、その答えはNOである。元々、健康とは程遠い僕がどのような経過、思惑を辿り、現在に至ったかをここに記していく。
・小学校時代
小学校時代は典型的な不健康児だったと思う。
1日の生活はだいたい次の通りであった。
朝:
自分では起きられずいつも起こしてもらってた。
寝相が悪く、布団はぐちゃぐちゃだった。
歯磨きが嫌いで虫歯が多かった(銀歯も多いと思う)。
朝食はパンが多かった。いつも2〜3枚食べてた。
昼:
平日は運動が嫌いで、あまり外で遊ばずに中で時間を潰していた。
休日は1日中家でゲームをしていた。
給食はよくおかわりしていた。
夜:
ごはんはよくおかわりしていた。これでもかってくらい食べてた。
寝る時間は早く、9時には寝ていた。
体型:
デブまではいかないが、一歩手前くらいまではいってたと思う。
お腹でとったし。
食生活:
たくさん食べていたが、ジャンクフードとかおやつはあまり食べなかったというか家になかったw
小学校時代の時は特に健康に気をつかってたわけでもなく、記憶ももうあいまいになってきているので情報は少なめです。
ここまで書くと将来、ネトゲ廃人や引きこもりになってもおかしくなさそうですねw
まあ当時はネトゲや引きこもりといったキーワードが無かったし、ゲームは1時間までという謎のタイムリミットが設けられていたので、どっぷりゲームをする習慣や引きこもる習慣を作りにくかった。そう考えると、僕は時代に救われたということでしょうか?
まあ、小学校時代はこれで終わりです。次は中学校時代ですね。
つづく